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させていただきます症候群

2024/07/09(火)
「させていただきます」という言葉をよく使います。ビジネスにおいても必要不可欠な言葉になっています。最近は、私も含め特に若い人が頻繁に使っているようです。上司やお客様に対して、丁寧な言葉を心掛けているが故の表現であります。ところが、間違った使い方をされていることが多いと言われている言葉の一つになっています。


言葉の専門家によれば、了解を得る相手がいない、了解を得る必要がない場合に「させていただく」と使うのは適切ではないそうです。そして、兎にも角にも「させていただく」という表現を多用している人に対して、「させていただく症候群」と呼ぶのだそうです。


例えば、間違った使い方として、「拝見させていただきました」というのは、「拝見」と「頂く」の二重敬語になるから適切ではないとか、頼んでもいない状況で、「説明させていただきます」と言えば、強引な印象になってしまう等と言われています。


ところで、作家の司馬遼太郎さんは、「街道をゆく㉔」・「近江散策」の中で、『させて頂くという語法は、浄土真宗の教義上から出たもので、他宗には、思想としても、言いまわしとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来—他力—によって生かしていただいている。三度の食事も、阿弥陀如来のお陰でおいしくいただき、家族もろとも息災に過ごさせていただき、ときにはお寺で本山からの説教師の説教を聞かせていただき、途中、用があって帰らせていただき、夜九時に寝かせていただく。この言葉の使い方は、阿弥陀如来の絶対他力を想定してしか成立しない。それによって「お陰」が成立し、「お陰」という観念があればこそ、「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました」などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。』と書かれています。


そして、熱心なご門徒が多い近江では、『かつての近江商人は、京・大阪や江戸へ出て商いをする場合も、得意先の玄関先でつい門徒語法がでた。「かしこまりました。それでは明日の三時に届けさせて頂きます」というふうに。』その語法が広がっていったように思えると書かれています。


つまり、すべての行いは阿弥陀如来の他力のはたらきによるという、お陰様の心を大切にする、お念仏の教えから生まれた言葉であったということです。


他力とは、阿弥陀仏が衆生を救うはたらきですが、そのはたらきを感ずるものにおいては、自分の行いを自分の手柄としない。どこまでも阿弥陀さまを通じて、ご縁があってさせていただき、仕事をするにも、仏さまにお給仕をするにも、他力の中では、させていただくばかりです。


阿弥陀さまの他力の教えをこの身にいただくと、せずにはおれない出る力となります。自力が力んで出す力であるならば、他力はおのずと出る力です。自力には限界がありますが、他力には無限のはたらきがあります。


本来の「させていただきます」は、ご門徒が、阿弥陀さまの他力の中で、生活を営んでこられた尊い証しだったのです。ならば、「させていただきます症候群」と言われても、何の心配もいりません。共々に、阿弥陀さまのはたらきの中で、仕事をさせていただき、年を重ねさせていただき、人生を尽くさせていただきましょう。

(住職 松岡文昭)