今年の2月、ロシアはウクライナへの侵攻を開始しました。戦争を体験したことのない私には、実感できないというのが正直なところですが、その苦しみを想像することはできます。
戦争は地獄(じごく)の極みです。
現状は、ロシアとウクライナ、お互いの主張を受け入れることができない状況です。
特に欧米の諸国では、ロシアが悪でウクライナを守る立場をとっています。日本も同様にロシア批判を強め、経済制裁を行っています。しかし、批判は敵対心を煽(あお)り、制裁を課せば、逆に制裁を課される側にもなります。
果たして、ロシアが戦争をやめるきっかけになるのか疑問です。
では、地獄の反対は何かと言えば、浄土(じょうど)です。
浄土の「浄」は、「氵」に「争」と書きます。漢和辞典では、「きよい、きよらか」とあります。これは仏教書に書いてあった内容ですが、「浄」とは、「氵」に「争」と書き、争いが水に流された世界です。
また、「浄土は一切の確執(かくしゅう)が洗い流された一如清浄(いちによしようじょう)の世界です。それぞれが、それぞれのままに許し合い、通じあい、話し合い、解け合える世界です」と言うのです。
浄土は決して理想の世界ではなく、私たちの真の願いの世界であると言えます。
誰もが浄土を願っているはずです。喧嘩(けんか)にしても争いごとにしても、それを収めるには、相手を理解しようとしなければなりません。お互いの主張も言葉を交わし、言葉を受け止めてしか、解決できないように思います。
お釈迦(しゃか)さまは、「仏の歩み行かれるところは、国も町も村も、その教えに導かれないところはない。そのため世の中は平和に治まり、(中略)国は豊かになり、民衆は平穏に暮らし、武器をとって争うこともなくなる」と言われました。早く戦争が収まることを願ってやみません。
(住職 松岡文昭)