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住職の法話

ご主人

2024/07/10(水)
主人とは自分の仕えている人。家の主(あるじ)であり、夫を意味する呼称となっております。
しかし、最近は主人という言い方に違和感を持つ人が増えているそうです。
なぜならば、世界はジェンダーによる男女差別をなくしていこうという方向に向かっているからです。

ジェンダーとは、社会的・文化的につくられる性別。世の中の男性と女性の役割の違いによって生まれる性別のことです。
既婚の男性であれば、その家の主と言い、家庭内の主従関係を示してきました。
しかし、今や日本においても男女平等でなければなりません。
また夫婦ともに働き、家事も子育ても分担している家庭も珍しくはありません。
そのような現代では、主人という言い方に対して違和感が生じるというのも理解できます。

浄土真宗の仏事作法について分かりやすく解説している本があります。
その本の見出しに、『お仏壇のご主人は阿弥陀(あみだ)さま』と書いてあります。
さて、どういうことでしょうか。
読んでみますと、『お仏壇は仏さまをお迎えするために設けた家のようなところですので、浄土真宗で言えば阿弥陀さまがその家の「ご主人」になります。ご主人である阿弥陀さまを具体的に表したのがご本尊です。』と説明が始まります。

つまり、浄土真宗のお仏壇をご安置する意味をやさしく伝えるための喩えであることが分かります。ここでのご主人とは、男女の違いを超えたもの、お仏壇の主たる存在がご本尊であるという意味です。
では、お仏壇を迎えるのはどういうことからなのでしょうか。
多くの場合は、亡き方をお祀りするためと考えられているかもしれません。

本の中では、『もちろん、お仏壇を通して亡き人に遇うこともできます。現に、「家族の死」という悲しみを縁としてお仏壇を求められる方が多いのも事実でしょう。しかし、だからと言って、お仏壇は「亡き人が入られるところ」と決めつけてしまうと、本来の意味がわからなくなる恐れがあります。』と書かれています。

お仏壇とは、阿弥陀さまに出遇わせていただくところになります。
裏を返せば私たちは、出遇わなければならないものを背負って生きているのです。
阿弥陀さまをご安置することと、み教えを聞いていくことは、一揃いでなければなりません。
『お仏壇のご主人は阿弥陀さま』という喩えから、ご本尊をご安置する本当の意味を受け止め、阿弥陀さまのお心をたずねていきましょう。

(住職 松岡文昭)